
「35年目のラブレター」小倉孝保(講談社文庫)
60代まで文盲だった男性の生涯を、本人の視点で描いたノンフィクション。
映画がよかったので電子で購入。母の施設引っ越しをした翌日(12/13)、また施設に行って居室に簡易ベッドを設置してもらい、宿泊。その夜、8割方読んだ。
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和歌山の山奥で生まれた西畑保さんは、戦時中に小学校に入学。片道3時間かかって登校するも、貧しさゆえに落としたお金を盗んだと決めつけられいじめられて、小2から不登校に。
文字の読み書きができぬまま父の仕事を手伝い、家を出てからは飲食店などで働いたが、読み書きできないことで様々な差別を受ける。
35歳でお見合いした妻には、読み書きできないことを隠して結婚したが、やがて自分の名前すら書けないことが知られてしまう。離婚を覚悟するも、妻からは思いがけない温かい言葉がかけられる。
そんな彼が、定年退職後に奈良の夜間中学校で学び、支えてきてくれた妻に感謝の手紙を贈るのだが…。
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こんな苦しい前半人生ってあるのね…世の中は厳しい。と目頭が熱くなる。「世間は読み書きのできない者を一人前の人間とは認めない」という現実と向き合わねばならない人生。その期間はおよそ60年、想像以上に過酷だったろう。
一方で、真面目で人に優しく生きてきたから慕われる人柄で、おかげで数々のよい出会いにも恵まれたんだなと思う。
それにしても、良くも悪くも昭和がどんだけ雑だったか分かるエピソードが満載だった。
読み書きできないのに調理師免許やバイクや自動車免許が取れてしまう不思議。病院の婦長に賄賂を渡すと断られていたお産が急にできるようになったり。
しかし最大の弊害は、やはりこの西畑保さんの小学校時代の扱いだろう。時代のせいも教師が未熟だったせいもありそう。
また少年時代の、幼なじみの兄ちゃんとのエピソードだけでも映画になりそうなくらい壮絶だ。
兄ちゃんは保さんに、雁皮を売ってお金にできることを教え、夜店で捨てられたヒヨコを一緒に拾いニワトリにしたり、まだ寒い時期に海へと徒歩で2人だけで遠征する。そんな思い出も温かい終わり方ではない過酷さに驚愕した。
そんな幼友達や、保さんが折々に温かい交流をする人々(盲目の夫婦家族や在日コリアンの方々)から、保さんを含めた社会的な弱者の存在を浮き彫りにする本だったようにも思う。昭和の雑さと書いたけれども、ここまであからさまな差別や蔑視は、いまはもう無いと言い切れない気もしてやるせない。
ただ、現在の保さん(80代)はスマホも使いこなす好々爺として楽しそうに生きていらっしゃるようだ。そのこと自体にはほっと温かい気持ちにさせられた。